08.12.25 福嶋さん集中講座

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政務調査費の記事を書いていて、
昨年末に行った研修の報告をブログにアップし忘れていたことに
気づきました。

PICT2457.JPG PICT2458.JPG PICT2466.JPG

ワードファイルで作ってあるのですが、SEOも考えて、あえて本文コピペして
みます。

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このたび研修視察を実施いたしましたので次のとおり復命いたします。


1、期 日  平成20年12月25日 〜 平成20年12月26日  2日間
2、用務先  ウィルあいち(愛知県女性総合センター、愛知県名古屋市)
3、用 務  福嶋前我孫子市長から、市長経験に基づく自治体経営の理念、改革の手法を学ぶ
4、処理顛末

 12月25日、26日と2日間にわたり開催された下記の講座に参加。
 第2回JTRサインナー対象講座 in名古屋
 前・我孫子市長 福嶋浩彦氏 〜自治体改革のすべてを語る〜

 別紙、プログラム、報告書の通り

 ※なお、JTR(日本税制改革協議会)は「いかなる増税にも反対する」ことをテーマに講演会などを開催している団体で、当該講座はJTRの納税者保護誓約書への署名者向け講座であるが、署名者以外でも参加ができることから参加をした。
 http://www.jtr.gr.jp/


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福嶋さんからは、冒頭に学者ではなく、1人の地方自治の実践者としての立場に立って、あるべき自治の実現のために、みなさんと考えながら進めていきたいとの言葉。

<定額給付金>
所得制限を設けるか否かは地方に任せる。
自治体の仕事は2つしかない。

・自治事務〜本来の仕事
・法定受託事務〜法律に基づいて行う事務

国の補正予算だけでやる。(法律を作らない)
法定受託事務は法律に基づいてやるもの。法律がないということは、自治事務になる。
自治体がボランティアで手伝ってあげるのか。総務省は自治事務だと言っている。

自治事務の中でも2つある。法律に基づく自治事務と、法律によらない任意の自治事務。例えば介護保険。
今回は法律を作らないから、任意の自治事務になる。
麻生総理がやるという判断をして、全自治体が勝手に同じことをやるという判断をしたということになる。

ところが今実施している説明会では、市町村から実施に関する細かい質問が出る。新地方自治法以降で、こんなことは初めてだ。地域振興券のときは、まだ旧自治法だった。
これが実施されれば、日本に地方自治がないということの証明である。

批判している政党や6団体は、事務が大変だと言っている。
それ以前に、こういうやり方はあってはいけない。しかし、この点を批判している人はいない。ここを批判しないとおかしい。法律を作って、法定受託事務にすべき。

お金の性格は全額補助の補助金となるはず。やらなくてもなんのペナルティもないはずだ。やらなければ、ただお金がこないだけだ。
誰かやらないという首長がいると、議論が広がるのだが・・・。


<本題>
12年間市民自治を常に基本に置いてきた。
その地域の方向性、基本方針を、住む人自らが決め、自らのチカラで作っていくこと。その実践だ。ある意味永遠の理想・目標であって、ゴールはない。追及していくことが、豊かな地域づくりにつながる。

市民が自分たちの力でできることは、自らの権限でやること。
個人だけではなく、組織や団体を作ってやることが多いだろう。

市民が全部できるわけではない。できないところは市民が税金を払って、行政にやらせる。
行政といっても、基礎自治体、広域自治体、国。
まずは基礎自治体ができることは全部やる。それをできないところは広域自治体が、そして国がやる。

<補完性の原理、近接性の原理>
市民から出発して社会づくりを考える。

今までは国から都道府県、市町村という順番だった。
これが市民から始まらなくてはならない。

合併、道州制が頭からだめだということではないが、それが国からおろされるものではいけない。国が権限をおろすときに、大きいほう楽だ、安心だということでは困る。

市民から出発していったときに、自治体は大きいほうがいいということにはならない。できるだけ身近な、小さいところのほうがいいという発想になるはずだ。
国から出発するのか、市民から出発するのかで大きくカタチが違ってくる。

分権;
国が自治体に分けて与えるということではない。
主権者である市民が、国と自治体に権限を分けて与える。

移譲;
パソコンの変換では最初に「委譲」が出てくる。
委ねるは上位者が下位者に委ねる。通常は「移す」ほうが使われている。
これは意識されずに使われている。

行政の権限やお金は主権者である市民から近いところにあったほうがコントロールしやすい。どうしても基礎自治体で担えない部分を都道府県や国に持っていく。近接性、補完性の原則で、近くに置くべき。

霞ヶ関がやったほうがうまくいくか、自治体がやったほうがうまく行くかという話ではない。
市長や職員の顔を見て、全国一律でも霞ヶ関で決めたほうがうまくいくと思うところもあるかもしれない。

介護保険のような国の制度で、(不満があったとしても)厚労省の課長にいいに行くことはできない。しかし、条例や自治体の制度であれば、市長や議員に言いにいくことはできる。

変な制度であれば、首長の首を切ることはできる。
しかし、介護保険、厚労省の老健局長の首を切ることはできない。
身近においてコントロールしやすくしたほうがいい。

分権をそうとらえるならば、自治体に意思を反映して動かす仕組がないと、権限やお金が来たとしても意味がない。
主権者市民の意思に基づいて動かしていくという仕組がなくては、分権の意味もない。

では、どういうやり方で動かしていくのか。
国政の民主主義と、地域の民主主義では質がまったくと言っていいくらい大きく違う。
しかしそのことは、あまり意識されていない。

「一元代表制。議員内閣制」
市民(具体的な〜〜市民ではなく、市民社会とかそういう普遍的な意味で)
 ↓
国会
 ↓
内閣

市民は国会を選んで、国会が総理大臣を選んで内閣を作る。
民意はひとつ。
内閣は国会に対して責任を持つ。(国民に対しては責任を持たない)
憲法の前文にもそう書かれている。

「二元代表制」 自治体の場合は、双方が直接選ばれている。
長が執行を担当し、議会は決定を担当する。
2つの民意を作る。これがよい緊張を生む。

民意が1つか2つかだけの違いかというと、もっと大きな違いがある。国会議員は一度任せると、主権の行使を任せるということになる。制度として。

国民は一度選んだ国会議員をリコールすることはできない。国会を解散させることもできない。
主権の行使をできるのは、唯一憲法改正の国民投票だけ。

自治体では、市民は任期中でもいつでも辞めさせることができる。ハードルは高いが市民には権利があって、議会も解散することができる。

法律→市民が直接請求することはできない。
条例→市民が条例案を作って、直接請求することができる。
日本の制度は議会が否決したら終わりとなっている。もとになっているアメリカの制度では、議会が否決すると住民投票にかかる、議会にかけずに住民投票にかかるという制度になっている。日本はその半分だけしか取り入れていない。

住民監査請求は1人でもできる。自分が直接被害を受けていなくても、納税者個人で裁判もできる。
国に対しては、会計検査院に対して検査請求もできない。国に裁判もできない。具体的な被害がないといけない。


選挙で選ぶというだけではなく、→は2本。理念の他に制度として、直接民主制を取り入れている。

少数派だが、住民投票条例を持っている自治体もある。(我孫子はある)

国では、国会という1つの民意を作って、その民意が中央政府を動かす。
自治体では、2つの民意と、住民の直接参加の緊張関係で運営されていく。
こうしたほうがいいということではなく、制度がこうなっている。


重要な案件で、議会が「市民に説明していないじゃないか」ということがある。
それは国会と間違えている。
国会に説明をすれば、国民に説明をしたことになる。

しかし、長も議会も直接選ばれている二元代表制では、長が直接説明をする必要がある。あえていえば、議会に説明しなくても、市民に説明しなくてはいけない。

市民と対話集会ばかりやっていると、議会軽視だという批判がでたりする。
それも国会と間違えている。

長は直接市民に説明する義務がある。それをきっちりやっていることを批判するのではなく、議会は長以上に直接説明し、直接意見を聞くことをもっとやっていく必要がある。それを自分のチカラにしていく必要がある。
それぞれが市民参加に基づく力を高め合い、緊張関係を築いていく。これが二元代表制の利点だ。

国会議員と自治体議員は、単に規模が違うということではなく、持っている役割が違う。

一番の土台は直接民主主義。自治体の構成員全員が同じ権利を持ち、自治体を動かしていく。これがベース。
しかし、すべてのことを、全員で議論して進めていくということは不可能。物理的なことだけでなく、全市民がすべての情報を理解し、判断していくということは不可能。

<ローカルマニフェスト>
選挙で民意を作るときに、人気投票では困る。
「明るいまちを作ります」では何が明るい町なのか不明確。

ローカルマニフェストという形で、理念・将来像を財源・年次を含めて示すこと。それに基づいて選択を行っていくこと。

・2つの誤解
ローカルマニフェスト、単に具体的な数字が入っていればマニフェストだという理解が広がっているかもしれないが、一番大切なのは、どういう理念で、どういう将来像を描くのかが重要。

都知事選挙で浅野さんが出たときに、少し応援した。
都民とマニフェストを作る会というのがあった。そのときのマニフェストで、グループホームを200カ所作るという項目があった。財源と年次計画は示されていた。一見するときちんとしたマニフェストのようにも見える。
しかし、それが200カ所できるとどうなるのかが示されていない。
それによって、特養の待機者が10%減るのか、ゼロになるのかわからない。200の意味がなんなのか書いていない。
それでは、主権者である市民には、判断できない。

むしろ数字の部分は4年間変わらないということのほうがおかしい。
それでは4年間進化が止まってしまう。理念とか将来像をきちんと示すことのほうが大切で、数字や財源は見直していくことが必要だ。その際には、当然説明責任が伴う。どうして変えるのか。

もうひとつは、国会議員を選ぶ選挙のマニフェストと、二元代表制のマニフェストは違うはず。
立法権と執行権が一体化したものを選ぶマニフェスト。執行権も決定権もある。

長のマニフェストでは執行権はあるが、決定権はない。
だから、議会との議論の中で、当然変わっていく性格のもの。
議員のマニフェストとなるとさらに複雑。

犬山の石田前市長が議会から言われた。それは市長のマニフェストであって、自分たちのマニフェストではないと。それはあたり前のこと。

市長は独任制の執行機関。執行機関の代表が市長ではない。市長が1人で執行機関。
教育委員会は違う。教育委員会という合議制の機関。だから、行政は補助機関。


計画策定の素案づくり、パブコメ、タウンミーティングなどがよくある手法。
昔は形だけだった。コンサルに作らせたものをカタチだけ諮問して答申。(会場からは今でもそうだという声)

計画策定だけではなくて、あらゆる分野に直接参加が必要だ。
そう思ったきっかけは、就任当時の我孫子市役所があまりにひどかったこと。
住民は全国から来ているが、市役所は古くからの人、縁故の人ばかりだった。当時の部長クラスは、どこにも就職がなかった人たちが役所に入った時代の人。
新しく住宅地に入った人と感覚が全く違う。(酒の席の笑い話にされているような状況)昨日と1mmも変わらないようにすることが仕事という意識。

市長が指示したからと言って、それに従わないといけないという意識もなかった。指示をしたときに、「わかりました」と言っても何もやらない。ダメになりました、で終わってしまう。

短期間に変える唯一の方法は、徹底した市民参加だ。
我孫子市は民間に出していた補助金を一度すべて廃止した。
見直しをやったときには、あまり進まなかった。有力者の団体、議員と関係のある団体が減らせない。結果として一律5%カットとかになってしまう。しかし、本当は増やしたいところも減ってしまうし、5%以上減らさなくてはいけないものが減らせない。

オープンな場所で市民と行政が議論できるように、そして市民同士が議論できるように。
一旦白紙にした上で、応募をしてもらって、市民の委員会で審査をしてもらった。結果として、既得権をもったようなところはすべてなくせたと思っている。新しい団体が補助を受けられるようになった。
しかし、それが新たに既得権になっては困る。だから3年でまた白紙に戻すという制度。

医師会の補助金がなくなった。市の保健に多大な貢献をしてくれている。予防接種など。予防接種などの委託料のほかに、運営費の補助金を出していた。

行政の中だけでやっていたら、ゼロにするという判断にはならない。
開業医の団体だ。全体としてみれば、お金持ちの団体だ。補助不適切という判断。最後に責任を持って決断をするのは市長。予算を最終的に決めるのは議会。
その責任をあいまいにしたら、市民参加はおかしくなる。

もし、医師会が抗議に来たとしたときに、隠れ蓑にしては絶対にだめだ。
市民の審査を経たということが、医師会の補助金をゼロにできた理由だ。

>>市民の審査の結果が市長の意向と違う場合に、市長の責任で、違う判断をしたことがあったのか。民主的正当性はない。議会から批判もでそうだが。

コネがないと入れない役所。人材の流出が起こる。
1人の職員には数億円の生涯賃金が支払われる。だから少しでもいい人材を取りたかった。120%公正な試験に。

元々、幹部5人くらいで試験委員となっていたのを、若手の職員2名と民間から1名に入ってもらうように変えた。
病院の事務長、商社の社員、ホテルの幹部などに入ってもらった。
非常勤特別職として、守秘義務を持って、合否の判定まで責任を持って参加をしてもらう。

最後は45歳まで年齢制限をあげた。民間からも来たが、最後の数年は他の自治体の現職の職員が受けに来てくれた。

補助金の話と職員採用の話を例に出したのは、ある意味デリケートな決定。聖域のような部分にこそ、市民に参加してもらうことが必要。市民に見せてこなかった場所こそ、市民に介入してもらう。そのことによって確実に変えられる。行政の決定に市民感覚を持たせられる。


(質疑)
1)職員採用。女性の職員採用。
世代的に幹部がいない世代がある。どういう工夫をしたのか。

>男女共同参画には積極的に取り組んでいる。12~13人女性議員がいた。
これから管理職になる世代の女性職員がすぽっといない。
10年くらい、男性に限っての採用を行っていた。その世代が36〜50くらいの管理職になる世代だった。

そこで、36歳〜46歳の女性に限った職員採用を行った。過去の差別の是正措置としてポジティブアクションとしておこなった。

現実には子育てのために、民間を辞めたという女性がたくさんいる。
しかし、復帰しようと思っても、派遣かパートしかないという状況。我孫子市役所だけでは多くはないが、まずは市役所が先駆けとなろう。
最初の年、2人の枠に対して、全国から700人以上の応募があった。
それを3年間やった。

そのあとは男女45歳までOKということでやった。
今の市長は年齢を下げたいようなので、少し変えているようだが。
子育て後にちゃんと働きたいという女性のニーズが本当に大きい。すごい人材が取れた。経歴で取ったわけではないが、
1人は都市計画のコンサルでずっと働いて来た人。こういう人に数千万と出してきたのだろう。もうひとりは外資系。

2)
ベッドタウンで市民参加をやったとして、多くの人は地元に関心がない。
地元住民が市民参加をやったとしても、結局なぁなぁになってしまうのでは。

>徹底して制度を作って来た。
しかし、制度を作ることがすべてではない。

東京通勤者は実際には関心が低い。
パブコメを作っても、関心は低い。
大切なのは、制度を作るのではなく、一番問題があるところ、問題が沸騰しているところ、関心が高いときにこそ、そこで市民と議論をすること。それを大切にしてきた。

議会とはずっと緊張関係を保って来た。
市民だけが応援団だった。しかし、一方で市民とはずっとケンカもしてきたという意識がある。
その議論を重ねてこそ、市民参加が結実する。一番問題になっているところにいけば、無関心などない。

我孫子の場合、一戸建ての中に中高層が建てられるようになっている。
周りの一戸建ての人は大反対する。そういうところに行くと、広報を読んだこともない人が、我孫子のまちづくりを本気になって議論してくれる。

3)
直接参加する市民、なにかの手続きで選ばれたわけではない。
言いたいことがある人だが、参加をしたい人、意見を言いたい人。学識経験者の場合は。

>条例策定のときには利害関係者。参加した市民の意見は全体の利益でもなければ、代弁しているわけでもない。それでいい。
そこで、選挙で選ばれている長や議会がそこで徹底した議論をして、全体の市民の利害調整を行う必要がある。

参加した市民の意見がすべてAという判断を下したとしても、市長として、議会としてBを選択しないといけない。ただし、参加した市民と徹底した議論をした上でないといけない。

極めてシビアな説明責任が求められる。生身の直接参加をした人と向き合って、議論をしないといけない。広報に載せて終わりではない。

直接参加した市民の意見がすべての意見ではない。

4)
市民参加の市民を選ぶ基準。
補助金であれば、利害関係のない人をどうやって集めたのか。

>補助金を審査する委員をどうやって選ぶかは大切。
公募を取り入れた。当時(14年ほど前)は、委員の公募をやっただけで新聞記事になる時代。補助金の審査の場合は、公募はなじまないという判断をした。

個人的に選んだわけではないが、担当部署でリサーチして、市長の責任で選んだ。補助金審査、市民の活動をよく知らないといけない。
しかし、活動をよく知っている人は、活動をやっている人が多い。

委員長をやってもらったのは、国の会計検査員の上のほうにいて、退職した人。
他に市内の大学の先生2人。(行政学の専門家ともうひとり)

行政と市民活動の間で仕事をしているのは行政書士。書士会からきてもらった。
もうひとりは役所の仕組を知っている人、成田市の職員OBで我孫子市民。

まったく関心がない人に説教をしてもだめだ。
どこかで問題とぶつかったときに、ちゃんと発言する場所があるか。発言した甲斐があると思える反応が、行政から、議会からあるか。
それがないと本当の無関心になってしまう。

行政が市民をどう変えるかという発想は不遜。いかがわしい。
行政がどう変わるか、である。

5)補助金はすべてを対象としたのか。

>国と県と市で1/3ずつというものは外した。総額でいうと7億か8億くらいの金額。
公募して市民審査するというのは、個々に応募するものだけではない。

太陽光発電装置、制度として作っている。個々の個人が応募してくるわけではない。緑地保全など、これらは担当課が応募する。
額としては、制度としての補助のほうが大きい。それを同じように審査する。

6)議会からのクレームはないのか。

>政務調査費。当時の市政調査費、会派への補助金という形で出していた。
市民感覚でいうとおかしいということで不適切となり、廃止となった。

朝日新聞では議会が通らないだろうと書かれたが、通った。
徹底して市民に説明をした。既得権をなくさないといけないと言うと、もらっている人も、言えない。

補助金が出なくなったところからは、審査会が私たちの活動がわかっていないという文句が出た。制度がおかしいという意見はでなかった。異論がある場合には、公開で反論のヒアリングの場を設けた。その結果、議会からも反論は出なかった。

補助金がほしいと言われたときにも簡単。公募しているから応募してくれ、で済む。

政党から推薦を受けなかったが、唯一推薦を受けたのが連合。
連合にも補助金を出していた。柏と一緒に行うメーデーに補助金。
連合が非正規雇用の電話相談などであればいいけど、労働運動自体に補助金を出すのはおかしいでしょという意見。
ここで、揺らいではいけない。すぐに崩れてしまう。

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<古利根沼>
バブル期に転売され、日本の闇社会の手に渡った。
埋め立てして宅地開発をするという話になった。当時の市長が開発を認めるという覚え書きにサインしてしまっていた。

不動産鑑定をして4億3000万で買うことになった。
財源。そのうち2億3000万は緑の寄付積み立て。2億円を市民債の発行でまかなった。
市民債自体は特別なものではなかった。
我孫子の特徴は、その利率を引き下げたこと。普通の自治体は個人向け国債に少し上乗せしていた。

発行には事務経費がかかる。(今は債券がなくなったが)
利率が高いと、縁故債、銀行から借りたほうが有利ということになってしまう。
利率の考え方を変えた。

発行事務にかかるコストも含めて、計算した。すると、非常に低い利率になった。証券会社はすべて断った。千葉銀行だけが、指定金融機関ということで、受けてくれた。
2億の発行に対して5倍を超える申し込みがあった。
→市民債のほうが信頼された結果だ!

使用の目的がはっきりしている。国債は何に使われるかわからない。
しかし、市民債は、何に使われるかはっきりしている。自然が守られることに使われる。役に立つことに意義を感じている。

2件目は、小学校の耐震化。
利率が低いことの説明は我孫子市がやるということを千葉銀行から念押しをされた。説明会などで説明すると、市民からは、利率が低いことなんて気にしていない、と言われる。

市民が理解してくれないことをやろうとしても、借りられないだろう。事業の意義を感じて債券を買ってくれているのだから。

<予算編成過程のパブリックコメント>
担当課が予算要求した時点から公開する。
誰がその予算を切ったのかが明確になる。
優先順位、まちづくりの方向性との合致が明確になる。

<議会への直接参加>
これまであまり課題としてこなかった。
個々の議員が日常活動の中で活かすこと。それがまずは基本。

正式の会議の場で、直接説明をして、そこで議員からの質問に対して応えていくこと。請願、陳情で。全国調査で20数議会でしかやっていない。
その中でも、休憩中にやっているというところも含んでいる。

自治法上認められているもの。
しかし正式な方法として使われているところは非常に少ない。

栗山町議会では、請願・陳情を第3の提案と位置づけた。
議会は決定機関。
1つは長が提案する。
2つ目は、議員が提案する。
3つ目は住民自身が提案する。この3つで動かそうということ。

選挙のときのマニフェスト、全員がすべて賛同しているということではないはず。選挙のときに問題となっていなかったことが大きな争点になることだってある。そうしたときに、住民投票が実施される仕組み、
要件が満たされたときに必ず住民投票ができる仕組みが必要。

徹底した市民参加をやって、市民の意思とずれないように努力していたとしても、それでもなおかつずれてしまうおそれがないわけではない。そうしたときに機能する常設型の住民投票条例が必要だ。

投票資格者の1/8。有権者よりちょっと広い
我孫子、18歳以上で、永住外国人も含む。 の請求があったとき、議会もこばめない。かならず住民投票を行う。

間接民主制で運営しているんだけど、本当は直接民主制で運営するのが望ましいということが根底にあるかどうかで、民主主義の質はまったく違うものになる。

国会議員は代表者だと言っていいはず。(憲法にも書かれている)
自治体では代表とは言わないほうがいいかもしれない。議員も市長も市民の代行者であり、代理人であるという言い方をしたほうがいいのでは。
市民ネットでは代理人という言い方をする。

代理人であれば、本人が判断しようとしたときに、本人は黙っていろとはならない。代表と考えるから、住民投票などを、議会の権能を奪うものという見方になってしまう。

市民自身も変わらなくてはならない。
→自治の力をつけること。違う意見(利害関係)をもつ市民と対話をして、調整をすることが必要。

話し合うのを避ける。それぞれが市役所に行って、行政に要求をするだけ。
これでは、いくら直接参加を徹底しても、いつまでも陳情政治でしかない。

昔は、市民の利害が対立する問題は、市民参加になじまないと言ってきた。
そうではない。
そもそも、意見が違わないならば、市民参加をしなくても、行政がそれをくみ取れば済む話。意見が違うところで、利害を調整するからこそ、市民参加の意味がある。

コーディネートする力。職員の研修では身に付かない。
実際に取り組んで、失敗していかないとそういう力は身に付かない。


1期目に、多くの課で市民とトラブルが起こった時期があった。これはいい傾向だと思った。形だけの市民参加ではぶつかることもない。本当に市民参加をしようとして、一歩前に出たからぶつかった。どうしても、そういう過程を乗りこえていかなければいけない。

違う意見の人と対話するのは、「日本人が」苦手。
住民投票をするときに、違う意見の人たちが、パネリストを出して、議論をした上でさらに持ち帰って議論をして、その結果として投票ということであれば、民主主義が深まる。
しかし、ろくに議論もしないで、単に投票をして、数だけで決めるということでは非常に危険。


戦後60周年の平和事業。
我孫子ではすべての中学校から広島の原爆の式典に行っている。
それなのに、イラク派兵について何も触れないままにはできない。
そこでパネルディスカッションを行った。

郡山さん(フォトジャーナリスト)
きくちゆみさん(国際的な平和団体)
ひげの隊長のあとの隊長。
コーディネーターは福嶋さん。

3人ともやってよかったといってくれた。
我孫子市で平和運動をしている人の半分は、自衛隊の隊長を市が呼ぶということ自体が許せないといった。それこそが戦争の論理。武器がないから戦争はしないだけ。
ここを変えないと、民主主義、熟慮型の民主主義、対話型の民主主義は生まれてこない。

(1章終わり)

国、国会の責任者と内閣の責任者は同一。一体化している。
法案、予算を作るとすると、国会と内閣が一体化して、十分に協議をした上で作る。
自治体では、一体化をしない。一体化してはいけない。

市長は市民の意見を聞きながら、条例案、予算案を作る。
議会も市民の意見を聞いて、オープンな場で議論をする。
議会はすべて野党の立場で、少なくても是々非々の立場で議論する必要がある。

ところが多くの自治体では一部の野党を除いて、長と議会が一体化してしまう。
その結果、正式な議会の場では、反対の意見しかでてこない。それなのに採決では圧倒的多数で可決される。

長自体も会派の話合いで、長の候補者が決まる。他には泡沫候補しか出てこないとなると、議会と長の談合が始まる。
議会議論が形骸化する。
市民が疎外される。

国では、国会と内閣が一体化するのではなく、官僚と内閣が一体化してしまっている。官僚内閣制によって、国会との関係が切れてしまっている。
自治体では、長と議会が一体化してしまっている。
いずれもそれによって、市民が阻害されている。
--
(質疑)
1)
市民の討論会。日本人は理屈をつけて討論をすることが苦手。
もうひとつ空気を読むのが得意だから、それは変わらないのでは?

>日本人がそうなっている理由、ひとつは教育の問題がある。
革新の人、言っていることは正しいけど、魅力がない。
保守の人のほうが魅力があるから、そっちに行ってしまうのでは。
市民運動派ではなく、本当の市民派になろう。

--
市長は、権力者であるということを徹底して意識しなくてはいけない。
反権力が自身のパッションだった。それだけに市長在職当時は、その権力を意識した。

権力を持って威張るということではない。
権力は危険物であって、その危険物を扱っているという自覚を持たなくてはいけない。もともと持っているわけではなく、市民から付託されている。

誰とも特別な関係にならない。
特に選挙で応援してくれた人と特別な関係にならない。
汚職は論外だが、いいことであっても、裏では決めない。

市民運動あがりなので、土木建設業とはもともと縁がなかった。さすがに市長になったときには、寄ってくる人がいるかと思って警戒していたが、12年間まったく寄ってもこなかった。逆に気をつけたのは、NPO・市民運動の人と特別な関係にならないということ。

建設会社であれば、癒着だと指摘される。
しかし、NPOと特別な関係になったとしたら、市民とうまくやっているという評価をされることもあるが、それは建設業者と何も変わらない。それは癒着である。

あるとき、市民ミュージカルをやった。
実行委員をどこかで募集した形跡がなかった。文化課が声をかけて、その市民の人脈でという話。すでに詳しい人が個人的にHPを立ち上げてやっていた。それでも、一度実行委員会を解散して、公募しなおした。

もっと悪かったのは、市民文化祭。
文化連盟などが中心になって実行委員会を作ってやっていた。
市民劇団が稽古していたが、今年は演劇の部を募集しないという案内が出た。実行委員会に入っていた劇団が、すべて自分たちがやるから、他の劇団を募集しないということで決めた。
来年からやると担当課は言ったが、許さなかった。11月に行われる市民文化祭に1日追加して、12月に演劇だけ行った。

選挙のときに応援してやったのに、という人が出てくる。
いくら説明しても理解をしてくれない人には、「あなたの票はいらない」と明確に伝えること。「例え1票差で落ちてもあなたの票はいらない。絶対に入れないでくれ」と。

国のほうではなく、市民を向いていること。
介護保険;
要介護認定、1次判定はソフトで。認知症は低い評価しかでなかった。施設入所の人しか対象にしていないから、寝たきりでないと低い評価しか出ない。
実際は在宅で認知症の人を見ることは大変。

要介護1と判定がでた人にも、一定の要件を満たす人には、要介護3が出たことにして、二次判定を行うというルールにした。新聞には全面対決か、というような書き方をされた。

厚生省のソフトに問題があるので、独自指針は必要だという見解を示した。
多数意見は、厚生省には従いますといいつつ、実際には独自指針で運用しようというものだった。しかし、現実にはそれは成立しない。市民にウソをついては、市民からの信頼を失ってしまう。
だから、断固戦う。最終的には、テレビカメラを連れて、厚生省にいった。
結果的には厚生労働省も認めた。我孫子の説明不足だといったが。


地方分権一括法と、介護保険法は同時施行。
介護保険は地方自治の試金石だということを言っていた。

自治事務である以上は、法令に反しない限り、自治体の裁量。

厚生省の側の認識の問題以上に、自治体の側が、国から言われたら従うのが当然という認識を持っていた。そのことが問題。


<多選をしない>
長くやると癒着をするからという理由ではない。長くやって癒着をする人は最初から癒着する。最初からやらせないほうがいい。
そうではなく、ポジティブな理由で。本当は国のほうが権力集中で、自治体が権力分散の形式。

今は官僚の利益代表が大臣になっているから、首相のリーダーシップが発揮されない。
自治体では、議会が機能していないから、首長の権限が強くなりすぎてしまう。

個性の影響が大きいが故に、長が一定期間をやったあとは、別の個性を持つ人がやったほうが、バランスの取れたまちづくりになるだろう。個々に見れば、方向が変わったりするかもしれないが、全体を見ればバランスの取れたまちづくりになるだろう。

光栄なことに4期目をやれという署名をもらった。
今の市長のここがだめだという話を聞いたりもするが、そういう点で評価すべきではない。自分が必死で一生懸命やってきたことが、変わったとしても同じように続いていくとすれば、自分がやっていた意味がない。自分とは違う得意分野でどうよくなったかで評価すべきだ。
自分がやってきたことで継承されているかではない。

改革派の知事や市長、みんな2期か3期で辞めている。みんな自分で終わりを決めている。
本当に変えようと思うと365日、全部が戦いになる。市民は唯一の味方だが、市民の意識も変えなくてはならず、戦いではないにしろ、ケンカのようになる。
市長をやる人は神経図太い人が多いが、それでも終わりが見えないと精神的にも持たない。

<質疑>
一人で執行機関。副市長はどうやって選んだのか。

最初は外から持って来た。
現役の官僚の天下りはよくないが、民間の団体で仕事をしている人。もともとは東大卒の官僚。1票差か2票差でギリギリ議会を通った。それはちょっと失敗だった。
その後は生え抜きの職員の中から、職員の信頼も得られる人を選んだ。

求める役割にもよる。
私が求める能力は、内部をまとめてくれることが必要な能力。
市長が求める副市長像によって違う。

<人事交流の人件費>
市から県にいくときは、市が持つが、県から市にくるときも市がもつ。対等平等といいながら、まったく対等でない。
国と戦うときは中途半端ではいけない。断固として戦えば、国は一目置くようになる。

介護保険のとき、認知症の高齢者のお宅に泊まり込みで調査にいった。
認知症の高齢者は、ひとつひとつの動作はできても、連続した一連の意味を持った行動としてはできない。
そのときの調査費用はすべて国でもった。ソフト改修の際の参考にさせてほしいと。

障がい者自立支援法。身体は判定できるが、知的と精神は判定しづらい。
我孫子では独自項目の設定をした。
やはり電話が来て、独自項目について話を聞きたいと言って来た。今度は文句は言わなかった。

<多選>
3期ということは、当初から決めていたが、公約にもせず、外にも言わなかった。求心力が弱くなる。また、あと何年で元に戻れると思われてしまう。


市民に聞くと、議会はチェック機能であるという答え。議員に聞いても同じ答えが多い。

議会と首長が車の両輪という言われ方をするが、片山さんに言わせると、同じ向きで同じスピードというのはおかしい。ハンドルやブレーキであるべきだ。

一番大切な議会の仕事は政策決定だ。
その決定の趣旨通りに動いているのかをチェックする。こうした決定の責任感が希薄。

条例案を議会にかける、議会が可決した。
施行後に欠陥条例だったときに、議会はためらいもなく長を追及するだろう。決定したことへの責任、意識が少ないように思う。間違いなく、決定をしている。決定の仕事さえも、個々の陳情の材料にしている。
本当は問題があって、本当は反対なんだが、私の支持者の要望を持っていったときに頼む、ということになってしまっている。

「議会は決定の場である」

議員同士で議論して、その自治体の方向性を決める。
しかし、質疑を通して、議場や委員会室で陳情をしているだけ。
これをやってしまうと、首長の力ばかりが大きくなる。議員同士の自由討論の必要性。

昨日、市民同士の議論という話をしたが、まずは議員同士がやってくれないと。

本会議で自由討論をやっているところ、17ある。
委員会でやっているところがもう少しあると思うが。通常の討論は自由討論ではない。

政治は、市民の合意を作る仕事。
議会の合意の作り方と、市長の合意の作り方は違う。
議員のスタートは、自分の依って立つ基盤の主張をしてもよい。代行者として、それぞれの市民の立場を反映させながら議論をする。最終判断は、全市民の立場に立った決定を行う。

市長は1人しかいないので、自分を応援してくれた人の立場というのは最初からない。市民の全体の合意をどこに置くかという想定をもって、提案する。

オバマさんが演説の中で、私に投票してくれなかったみなさん、と呼び掛けた。
「投票してくれなかった人の大統領でもある」と述べた。

依って立つ基盤に基づいて発言してよいが、ただし、それに基づく陳情だけをしていてはいけない。これまで議会はそうやってきていないので、いきなりはなかなか難しい。
議員立法をして、議論をするのがわかりやすい。ただ日常的に議員立法を行っていくことは難しいかもしれない。せめて4年間で1本くらいは実現してほしい。

長が提案してきたものを、可決か、否決かではなくてちゃんと修正してやっていくということを実現していくべき。それはやれるはずだ。私は水面下での調整をやってこなかった。
だからよく否決されることがあった。

最初のころは、重要議案が否決されると、記者などからは「不信任に値するのではないか」と問われた。否決されるということは、議会が健全に機能しているということだ。

12年間の中で2、3回を除いてすべて原案訂正されて可決されている。
予算審議が一通り終わったあとに、執行部が抜けて、議員同士でどこを修正するか判断をしてまとめる。
それを予算委員長が持ってくる。全員が修正すべきということを言ってもすべて飲むということではなかった。

予算(の修正)は難しい。生産性が低い。
条例案では委員会が中心となって修正すべきだ。やむを得ず賛成、やむを得ず反対はやめるべきだ。
利益誘導型でやると、執行権のほうが強い。しかし、本当の民主主義であれば、決定権のほうが強い。

我孫子では、長のもとには960人くらいの職員がいた。
それに対して、議会事務局は10人足らず。
補助職員の数が違うから、難しいということを言う人もいる。
スタッフの数では長が圧倒している。しかし、長からすれば、選挙で選ばれた人は1人しかいない。
議会は選挙で選ばれた人が数十人もいる。そのチカラはものすごく強い。
職員から上がってくる報告の中には、ウソもたくさん含まれている。悪意があるということではなくて。
部長が報告を受けるときには、課長からの報告を受けて、部長自身も問題がないと思って報告をしている。

徹底して市民と議論をしていれば、そこにどんな問題があるのかがわかる。
いかに結びつくか、だ。長は1人で960人を相手にする。30人くらい選挙で選ばれた人がいるということはものすごく強い。


通常は長がブレーキをかけることが多いが、栗山では、議会が専門化に依頼して財政分析をやっている。だから、長の提案では甘いという判断をした。

日本の二元代表制、世界的にみると少数派。
変えろという議論があるが、多様な制度があることは悪いことではない。
地方自治法が全国一律で決めるのではなく、自治体ごとに、シティマネージャー制や二元代表制など地域にあった制度を選べるようにすればよい。
多様な制度が取れるようにしたほうがいいが、どんな制度であっても長所と短所がある。今の制度のもとでうまく行かないから、制度が悪いという主張をするのは犯罪的だ。

現行制度のなかでよい運営をしていない責任を免れてしまうことになる。
栗山のように現行制度でうまく運営しているところを過小評価することにもなる。

現状の制度で議会がまともに機能していない議会が、さらに議会の機能を必要とする議員内閣制をとるべきではない。一院制に変えることができるのは栗山くらいだ。
今うまくやっていなくて、制度が悪いという議論は、改革の論点をぼやかしてしまう。

<地方政治における政党の役割>
仮に自治体でも一元制を採用するときにはそのことも考えなくてはならない。

犬山の石田さんとスウェーデンのコミューンを調査に行ってきた。
一緒に行ってきて結論はまったく違う。石田さんは一元制にすべきだという主張。
スウェーデンは議会主義。議会のなかで執行委員会をつくり、執行委員会が行政運営をしていく。本体の議会のほうはほぼボランティア。
スウェーデンでは、国政は専門化がやるべきだが、地方政治は、普通の人と同じように仕事をしている人でないと資格がないという考え方。
基本は夜だが、昼間でも議会に出ることが保障されている。

執行委員会に入った議員はきちんと報酬がでる。仕事量に応じて。
(日本では自治法や憲法の改正が必要)

条例案や予算案は誰が作るのか。
執行委員会に入った議員が補助職員と作るのかと思うが、違う。
議会の本体の議員が作る。

執行委員会は議会が決めた予算を執行するだけだ。
なぜこういうことができるのか。ひとつは日本のようにわざと難しくした条例ではない。
もうひとつは、政党が作っている。政党がスタッフを抱えて、そのスタッフが作っている。

スウェーデンではあまり市民の直接参加ということをやっていない。
政党に参加するということで民主主義を補完している。
政党が集会を開いて、そこで市民の意見を吸い上げている。地域政治の中にしっかりと根付いている。

自治体選挙も比例選挙。比例で議会が構成されれば、その比率に応じて執行委員会も構成される。それをそのまま日本に持ってこようと思ってもそれはできない。石田さんはそこを言わない。

個人の選挙では政策選挙にならないから、比例選挙のほうがいいという意見もある。議会の話をしていると、今度は、会派拘束をしないほうがいいという話になる。両立はしない。

集団化された意思よりは、議員個人の意思で自由に議論をしたほうが、民意(主権者市民)の反映という意味では有効に機能するように思われる。
北欧のように政党が市民の中に根付くことは日本では難しい。

政党内の分権化ということが進んでいないように思う。
自民党も民主党にしても、県連の会長はみな国会議員だ。支部の代表も同じ。
政党自体が国会議員選挙のための組織になっている。
県連の代表を県議がやればいいじゃないか。

都連のマニフェストなのに、(民主党)小沢さんの写真が出ている。
小沢さんがどういう分権をすすめていくかだったらわかる。そうなってはいない。

政党がシンクタンクになるのだったらいい。地域政策を立案していくようにして、議員が政策で結びつく、緩い連携をしていくのが当面のあり方として望ましいのではないかと思う。

政党交付金。中央本部におろして、そこから、支部にお金が流れる仕組。
スウェーデンでは、地方分はコミューンに直接お金がいく。

<改革派首長>
議会軽視だという意見に対しての対応は改革派首長でも態度が分かれる。
木下さんや福嶋さんは原理主義派、戦う。
志木市の穂坂さんや石田さんは手練手管型。

最近は改革派首長の時代だった。
これからは改革派議会の時代だ!

分権をめぐって、国と戦っていくときには、長のリーダーシップのほうがやりやすいし、長の役割。
しかし、地域に本当に豊かな自治を作っていくためには議会を変えて、市民と結びついていくしかない。それができれば、簡単に崩れることにはならない。

市議時代は「野党」だった。
市民の運動と一緒になってやっていくということを重ねていく。
設計までできていた水道施設を、まるきり違うものに変えた。我孫子駅前の複合施設を、設計までできたものをひっくり返した。

手賀沼のほとりに「水の館」池田理代子さんデザイン。
景観論争になってデザインを変えた。

すべて市民運動で変えている。
あきらかにおかしいと議会の論戦で論破しても、与党といわれる人たちの賛成多数で決められる。市民の署名をどんなに集めても、無視するときは無視をする。

議会で論破したときには1人であっても、市民に徹底して伝える。
それの積み重ね。市民が1度成功体験を感じると、それで動く市民が増える。

現実に、市長を選ぶときと、議員を選ぶときで市民は基準を変えている。
見識で選んでいるのは、首長の選挙。
議員を選ぶときには、身の回りの要望を市役所に掛け合ってくれるかで選ぶことが多い。どちらが先かではなくて、相互関係。

これを崩していくというのは簡単ではないが、市長のときに買えようと思って、自治基本条例に入れたのは、
議会に市民からの苦情や要望を聞く窓口を作って、そこにスタッフを置くということを考えた。

要望があったときに、それが正しいかということよりも、それをきっかけに支持者になってもらおう、支持を強めてもらおうという視点になってしまう。
そうならないためには、議員個人ではなく、議会として、受けとめる仕組を作る必要がある。
これを条例案に入れたが、議会に否決されてしまった。
どこかのまちで取り入れてほしい。

会派をまったく否定していいか、政党をまったく否定していいか、というとそうではない。
我孫子では、25年前に会派の規定から、「志を同じくする」という規定を削除した。それから、会派が便宜的な集団になった。

<自治基本条例>
自治体の憲法。国民が国家を縛るのは憲法。
今度は憲法の範囲で、国家は法律で国民をしばることができる。その範囲でないと国家は国民をしばることはできない。
遵守義務者に入っていないのは、守らなくていいのではなくて、憲法が国家をしばるものだから。

市議会と行政をしばるのが、自治基本条例。
あらたに市民が、自治体の何をしばったのかが、自治基本条例の特徴となる。
自治法の範囲のことしか書いていないのでは、アクセサリー条例だ。何をしばったのかが大切。

憲法もそうだが、自治基本条例で市民の責務を書いたとして、それが義務づけられるわけではない。それが直接市民を縛るのではなく、その範囲で、義務を求めてよいということを許しているだけである。

その点を理解せずに、自治基本条例を作っている例が多い。


「議会の定数は4年に1度、市民の意見を聞いた上で見直す」という条文を盛り込んだ。市民の意見を聞く方法までは定めていなかったが。

本来は選ぶ側が決めるべきことなのに。
定数は条例で決めることだから、それでよいのだが、自分の身分に関わることを自分で決めるのだから、市民の意見を聞くという手続きを経ることを義務づけるのは当然だ。

反論は意味がわからない。共産党の古参議員も、自治法違反だという批判をしてきた。市民が決めるというのは自治法違反。
市民の意見を聞いたら、みんな減らせという。事実上市民が決めることになるから自治法違反なのだ。

松戸市が千葉県では最初に議会基本条例を作った。
しかし、市民の規定はほとんど入っていない。栗山の条例から「市民」を除いたものになっている。長に対して議会の権限を増やすものという意識で条例が作られている。

<定数削減>
結局は経費削減。報酬を半分にして、定数を2倍にしてもいいじゃないか。

>今は上限が自治法で決まっているから、少数のスペシャリストにして、報酬を増やすことはできるが、定数を増やしてボランティアにはできない。

上限をなくして、自治体ごとの選択に委ねる幅を持たせればよい。

<協働>
新しい公共。昔から、公共は官だけに担われてきたわけではない。
公共事業だって、民間企業に発注をしている。
福祉だって、行政が直轄でやっているものは少ない。
官の下請けを民がしているという状況だった。

官の支配構造をそのままにして、量を増やしたとしても、それは新しい公共ではない。


行政法の有名な先生方も、市民と行政が対等であるというのはおかしいという主張。
ここで言っている市民は、主権者市民ではない。
事業者市民と行政の協働であって、主権者市民は行政の上にいる。

主権者市民は、選挙と直接参加によって、行政をコントロールする。
相手がNPOだったら、NPO(市民)の言いなりになっていいわけではない。
行政にとってもNPOにとってもメリットがあるからということで、お互いに自己満足をしているだけではいけない。それを評価すべきはその利用者だ。受益者から評価をされるのであれば、NPOと行政がケンカをしながらやっていたとしても、よい協働だ。

受益者市民、事業者市民、主権者市民。この3つがくっきり分かれるということではない。いろんな立場になりうる。どの立場でものを言っているのかを整理しなくてはいけない。

行政は題目のように、「参加と協働」と唱えるが、参加と協働の考え方がはっきりしているのか。
民に移せるものは徹底して民に移すべきだ。
ただし、これまでの委託や指定管理は単にコスト削減という視点だけで民に移してきてしまった。その点で問題があった。

例えば音楽ホールの運営。単に安上がりであるから民に指定管理という思考。
指定管理者が専門化集団であるから、今まで10人でやっていたのが5人で済む。少ない人数でできるから10%給料をあげても全体のコスト削減ということであればよい。
しかし、現実には、公務員の給料より指定管理者の給与が安いから、コスト削減になっているだけ。

むかしのように、全部終身雇用にできるわけではない。
私の考えでは同一労働同一賃金であるべきだ。そのときに、行政が率先して、非正規を増やすようなことでどうする。

受けるほうは、必死で削減の努力をする。人件費の削減。
こういうことをやってきたから、指定管理、民間委託といったときに市民の評価は低くなる。
普段は公務員の評価は低いが、民間委託という話になったときだけ、公務員の評価があがる。民間に任せると金儲けだけになると。
その原因は行政にあるが。

コストではなく、質で見て、民がやるのか官がやるのか決めていく必要がある。
コストを無視するということではなくて。費用対効果の検証は必要だが、あえて質から入っていくことが必要だ。

我孫子の提案制度;79の提案を受けて39の提案を採用した。

絶対に!待機児童を出さないという方針。
それによって、まわりの町から移ってくる人もいた。
だから、子育て支援については自信を持っていた。
しかし、助産士の会から「子育て教室」への提案があって、あきらかによくなるので、採用した。

行政が行政の都合でやらせたいものを民間に出すのではなくて、
民間がやりたいと思うものを提案してもらい、それが本当に市民のためになると判断できたものを民間に移しましょうということ。

1100の枠組みを変えてもいいということになっている。しかし、変えなかったものもある。
市の住居表示板、我孫子では市民課が管理している。
ごみの不法投棄はクリーンセンターが管理している。
道路課が道路の損傷の管理をしている。
これら3つをまとめて管理してあげますよ、という提案が運送業者から来た。
これは残念ながら不採用になった。道路の損傷は郵便局の人がボランティアで通報しますという制度があった。
ごみも地域ボランティアでやってくれる仕組があった。
だからあえて事業として委託料を払ってまでやってもらうということにはならない。

毎日責任を持って、脇見運転をしながら、道路のチェックをしてもらうことになってしまう。だから不採用になったが、縦割りの弊害ということではいい指摘をもらった。


民営化論者は官の批判、民営化否定論者は民営化批判しかしない。
いずれにしても、改革をしながら連携をする。改革をしながら、市民にとっていずれがよいかという話。
公共はもっと大きく充実する必要がある。
でも、それに伴って、官を大きくできるか、行政を大きくできるかというと、それはNO。財政的にも。
官が肥大化した社会は住みよい社会につながるとは思えない。

民の主体をもっともっと豊かにしていく。それによって、公共を大きく、充実させていこう。
行政の役割は重いけれど、サイズとしてはできるだけコンパクトにしていく必要がある。「大きな公共と小さな政府」。
小さな政府というと新自由主義のように聞こえるが、そうではない。

ではそれに対抗する潮流が対案を出せているか?
社会民主主義や、共産党。大きな政府が対論になるが、財政的には無理で、大きさを問題としていない。公務労協「ほどよい政府」としかいっていない。意味不明。何もいっていない。

だから、もうひとつの小さな政府論、市民からの小さな政府論。

<質問>
機能の話ともからむが、社協にたくさん委託しているような状況。我孫子ではどうしているのか。
事業の補助はあまりしていないと思うが、人件費補助は残っている。

岩手県・宮古市の社協、市長が医師。事業収入でまわっている。(熊坂市長)

質の評価は難しい。
サービスを始めるときに、どういう質の設定をするのか。
行政評価をやるとき、数値目標を設定して、ということになるが、あまりできのよい例を見たことがない。

住民票などの発行の窓口、駅にある窓口。急いでいる人が多いから、1秒でも早くということが質になる。
住宅地にある窓口であれば、安心して目的のものが手に入れられるということが質になる。
保育園の質といっても、いろいろ。

市場化テスト;
市場化、3つの中の本当の市場、営利企業に移すということではない。
競争を通しての公共サービスの改革法。本当の市場での自由競争ではない。
それを独占的に受けられる民間に移すだけ。

それがいいという意見もあるし、それがだめだという意見もある。
公共事業の市場というのは、消費者不在の市場。
住民票であれば、その発行責任者である市長が決める。消費者はいない。

新宿区、児童館の指定管理者を決めるときに、公開プレゼンテーションを行った。利用者の前でプレゼンをして、加点をした。
企業が提案したのは、利用者をお客様として、こんなにあんなにサービスしますよというプレゼンをした。
ワーカーズコープは、お客様ではなくて、一緒に運営していくという立場でプレゼンをした。その結果、高い評価を得て、逆転した。

学童保育については逆の流れ。もともと親が見ていたものを、公営化して、(直営化)して、全部の小学校に整備した。もともと子どもを見れない親が学童保育にいくのに、親の自主運営ということでは自己矛盾している。

保育園の民営化のときにも、信頼関係があったから、
官のお金と民間の工夫で、我孫子で一番の園を作ろうという機運になった。
単なるコスト削減のための民営化はしないだろうという信頼。

我孫子の場合は東京通勤者が多いので19時に帰ってくるというのは難しい。
21時までにしたい。
すでに障がい児保育、低年齢児保育をやって、かなりコストがかかっていた。
21時までと日曜日、さらにお金をかけるということは厳しい。

保育士の世代バランスと男性保育士はいたほうがいい。
保育士の経験年数でかなり細かい条件設定をした。男性保育士は努力目標になったが。


人件費も含めてという話。
退職金なども含めてか?>間接コストは含めていない。

--
<三位一体改革は何だったのか>
3割であっても補助金をもらって仕事をしてしまうと、国に対する説明責任や基準に基づかなければならない。

地方交付税も、結局第2の補助金的に使われてきてしまった。
4兆金の補助金・負担金の削減。1兆円の損。本当に自立するのであれば、それでもいいと思っていた。

4兆円の減らし方。1/5に減らす。数を1/5に減らしたのであれば、自主性は高まるはずだった。
しかし、補助率負担率を下げることで1/5を生み出した。そうすると、3割補助が2割補助になっただけ。自由度は何も高まらない。ただ損をしただけ。
地方交付税の削減には何の理念もなかった。結果、単に地方財政が厳しくなっただけ。

負担率の削減ではなくて、「廃止」をしなければならない。

税源委譲、できるだけ偏在の少ない税を税源委譲の対象としなければいけない。
全部ではないけれど、法人関係税はもう少し国のほうに移してもよいだろう。

財政健全化法。市民が自治体をコントロールするツールにしなくてはいけない。
総務省が自治体をコントロールにしてはいけない。

昨日も話したが、最低限、道路特定財源は、自治体が自由に使えるものとして要求しないといけない。自分で責任を取ること、説明責任を果たすことを嫌がっているだけでしかない。

<合併と道州制>
国が自治体に権限を分け与えるという考え方でやってしまうと、だめだ。

自治体の規模;
インターネットができたから、情報を伝えやすくなったということも言われるが、逆に、インターネットではとなりにいても中にいても同じ関係になってしまう。


「市民自治」豊かな自治を実現するということは、今ある資源を活かしていくことからしか始まらない。国からお金を持ってくるということではない。
やがてそれではだめだということで、どこの自治体も企業誘致をやった。その後、海外流出、中央集中という流れ。その後は、観光、観光。
お金を持ってきてくれる人、お金を落としてくれる人ばかりを追い求めてきた。

ちゃんとまちづくり戦略を持つということ。
我孫子市は東京のベッドタウンで人口が急増した町。
産業はないので、個人市民税が大きな収入。次いで固定資産税。
団塊の世代が多い。東京の一部上場企業の専務・部長クラスがたくさんいる。
(武蔵野は大学教授と社長がごろごろいる。)
そういう人たちが引退すると、財政構造は激変する。税収が減る。

そういう中で何をするかが我孫子のテーマ。
<1>リタイヤする人たちの活躍の場
税収は減るが、人材は戻ってくるのでは。すごい人がたくさんいるのに、活躍している場所は東京。パートタイム市民と呼んでいた。そういう人たちがリタイヤすると帰ってきて活躍してくれる。

そういう人がコミュニティビジネスを起こしたり、単にサービスを受ける側となるのではなく、活躍してもらう仕組を作ること。これは簡単ではない。
特に男性は地域のことをまったくしらない会社人間。その人が地域人間に変身できれば、ものすごい大きなチカラになる。会社人間のまま、でかい顔をされると市民力をつぶす可能性もある。逆に迷惑にもなりうる。

それまでの会社の形以外を認めようとしない。
多くの場合は追い出されるが、たまに引いてしまう場合がある。そうすると規約にこだわっていた男性もいなくなる。それを防ぐために、コミュニティビジネスのインターンシップを始めた。

<2>若い人が住もうと思う魅力的なまちとは。
柏市と勝負しても勝負にならない。勝負にならない。JRの快速に乗ると5分で柏にいける。JRに乗ると40分で都心にもいける。
柏市は犯罪発生率が非常に高い。これは我孫子市に繁華街がないからあたり前。自然にも接しながら子どもも育てられる。子育てがものすごくしやすい。待機児童は絶対に作らない。
柱になるものがあったほうがいい。

市長の方針を市役所全体に伝えることは難しい。
保育課は保障できませんと答えた。
待機児童ゼロと言っていて、たくさんの人が入ってきたら、待機が出る可能性があると考えてしまった。

<3>人件費のコントロール

税収が減っていくのに、億単位で人件費が自然増していく。
税収が減ったら、それに合わせて総人件費を減らすというルールを作った。
当時、税収に占める人件費の割合が52%ほどだった。

こういう3つの戦略をもってやっていた。
これが正しいということではない。まちごとに戦略は違うはずだ。
それぞれに応じた戦略をもって臨むべきだ。


行政コスト計算書で、コストが高い。
その分野を充実させているからコストが高いのか、その分野が非効率だということなのかきちんと判断しなくてはいけない。

<口利き公開制度>
議員の活動がきちんと伝わるのだから、議員にとってもメリットがあるのだという説明をした。
自治会、連合会、団体などからの要望は、それに対する回答も含めてHPで公開するようにした。
議員の場合はプライバシーに関わるものがあるから、一覧の公開にとどめて判断をするところを挟んだ。

<質疑>
1)名古屋市長選での民主党の政策。7つの約束がばらまきに見える。
福嶋さんのマニフェスト、公約が知りたい。

>3期目は無競争だった。
個人的には、合併をしないほうがいいという考え方をもっているが、合併については、リーダーシップを発揮しないということを表明した。

市民に問うまでは自分の考え方を言わないという首長がいるが、それではだめだと思う。

合併を議論しているときは、まだ常設型の住民投票条例ができておらず、相手のあること、時間の制約もあることなので、住民投票によらずに決めた。
タウンミーティング、パブリックコメント、3000人の無作為抽出による意向調査が自分の考えと一致したので、そのまま合併しないという方針で決定した。

8つの提案というのは、市政方針の中で示したもので、民意の判断を経ていない。
① 市長任期を限る
② 議員立法をできる議会に
③ 住民投票条例の制定
④ 徹底した情報公開

地域再生の戦略として、先ほどの3つ。
最後に、我孫子独自の問題、成田線の問題。
都心の電車なのに、1時間に1本程度しかなかった。JRと心中するわけにいかないので、バス路線も含めた、別な方針を検討。

最初のときには、
開発をするべきところと自然を残すところの区分け。
〜すでに25年ほど区画整理にかかっていた。営業補償等を含めて、毎年6億円ほどの一般財源が使われていた。
一方で、手賀沼周辺の開発が無計画に行われていた。
縁故採用の撤廃など。

2)3つの戦略のうちの3つ目

総人件費。団塊世代の一気に退職するというものを少し緩和するため、早期退職の実施。
調整手当。今は地域給。どの自治体も10%だった。
我孫子は独自の給料表を使っているのに、何を調整するのか不明。
県職員が我孫子で仕事をする場合、5%だった。
だから少なくともそれに合わせて5%にした。5%下がるのだから、影響は大きい。

3)我孫子の地形的特徴
>我孫子はもともと東京通勤者ばかりだったので、交通問題は東京通勤の問題だった。それが高齢社会になってくると市内移動の問題になった。
20分30分待つということは我慢できない。


国民保護法に基づく、国民保護協議会
防災会議と国民保護協議会を併せたものとして、市民危機管理対策会議を作った。国は驚いただけだが、県が絶対にだめだと言ってきた。
条例では両方の法律に基づくということにしていて、まったく問題がないと思っていたのに。

当初は県の了解がないのに、その条例案をHPに出すなと。
認めてくれたあとのアドバイスは適切だった。

4)国会へは。
自治体の長をやって、ガバナンスを経験した人が、国会議員になるということは大切。ただ、私は地方自治の現場でやっていきたい。

5)我孫子の障がい者福祉の特徴は?
>13万人ほどのまちだが、作業所が11くらいあった。
多様な作業所、一般就労へのチャレンジがしやすい。ジョブコーチだとか一般就労への移行支援を積極的にやっていた。

親が望めば、障がいを持つ子どもでも普通学級で受け入れていこうということをやっていた。必要があれば、サブの先生をつけるので、予算がないからつけないということは絶対にやるなといった。
親が必要だと言ったからとはならないが、学校や教育委員会が必要だと言えば、必ずつける。

障がい児保育も、保育にかける児童でないと入れないということになっているが、集団保育が、その子の育ちに大きな影響を与えるということであれば、認めるということにしていた。重視もしたし、熱心な職員もいた。

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プロフィール

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柏野 大介
(かしわの だいすけ)

大学を卒業後、2度の就職と合計約2年の旅行を通して、常識や慣習といった言葉に囚われない道を模索し続けています。
外に出たことで、日本、北海道への愛着はさらに強いものとなりました。

2007年4月、恵庭市議会議員当選。
2009年12月、北海道議会議員選挙に挑み落選。
市民とともに創る自治の確立のため、「見える北海道」の実現を目指し活動中。

ご意見・ご質問などはメールでお願いします。
dkashiwano○gmail.com
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-略歴-