活動報告 activity

2011/05/18

災害ボランティア報告1

ブログの更新が遅くなりました。

ツイッターにも記載した通り、恵庭には5/13に帰ってきました。
考えることが多過ぎて、なかなかまとめられずにおりましたが、メモを元にしながら、少しずつ書いていこうと思います。

なお、記述の内容は、私自身が、現地を訪れて見聞きし、感じたものであって、必ずしもすべての地域で同様だという意図ではないことをあらかじめお伝えしておきます。

今回、本州に入るにあたっては、苫小牧から出ている青森行きのフェリーを利用しました。
http://www.silverferry.jp/
通常は、苫小牧から八戸という航路ですが、八戸港が使用できなくなっているため、代替として青森港への航路となっています。

青森から一度下北半島を北上し、むつ市の親戚を訪ね、夕方から東北自動車道などを利用してひたすら南下しました。
途中何度かサービスエリアでの休憩をとりながら、仙台東部道路を走り、深夜になって山元町に入りました。
山元には、一足先に恵庭の友人が入っており、当初は彼の知人宅にお世話になりました。

翌朝、日が昇ると前日には見えなかった光景が広がっていました。
少し高台になっている道路を隔てて海側は、建物がほとんどが倒壊し、その広範囲に及ぶ被害に言葉を失いました。(後で実感することですが、そんな光景が東北の海岸線に、どこまでも続いていました)

最初の2日間のボランティア先は、山元町の特産でもあるイチゴの農家さんのところ。
海岸から2km以上離れたイチゴのハウスにも、腰の高さまで津波が押し寄せてきたそうです。
ハウスの周辺の農地にも、流木や、流されてきた車がそのままになっていました。

道路を隔てた2軒の農家さんのハウスや側溝に堆積している泥を運びました。
2日間、10人以上の手で泥や、漂流物、震災後に収穫できずに枯らしてしまった苗を運び出し、ある程度次の生産に向けてのメドが立ったようでした。(私たちが入る前にも何日かボランティアは入っていたようです)

ただ、このハウスは比較的海から離れていたことと、地面から1mほど高く作った設備に水を流している構造が幸いし、すぐに生産に向かえたようですが、ここ以外のハウスはすべて流されてしまったり、地面に直接うねを作っているところでは、塩害もあって、すぐ次ということにはならないそうです。

経済的な復興は時間がかかることですが、こうしたできるところから1歩ずつ動かしていくことしかないのだと思います。山元町のイチゴ、また冬には北海道にも届くのでしょうか。

皆様のコメントを受け付けております。

  1. […] https://kashiwano.info/article-1956.html かしわの大介(2015.03.13)|雑感|コメント(0)| « […]

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